桃夭学園どきどき日誌


第5話

 あなたの手は、ほとんど無意識にノートを開いてしまっていた。

 あなたがノートを開いた時に見たのは、鉛筆で描かれた可愛らしいイラストだ。

 髪を二つに束ね、桃夭学園の制服を着た女の子が慌てたようにぱたぱた走っている。女の子が飛鳥井さんであることはすぐに分かった。

 さらにパラパラとページをめくって行く。どうやらイラストはストーリー仕立てになっているようだった。

 転校生である飛鳥井さん(らしき少女)が遅刻寸前でぱたぱた走っていると、
一人の男の子(やはり桃夭学園の男子生徒だ)とぶつかり、彼との恋が始まって……って。

「………………漫画?」

 思わず呟いた言葉に、あなたに背を向けてがさごそとノートを探していた飛鳥井さんが飛び上がった。

「ま、ままままま漫画!?」

 飛鳥井さんが振り向き、あなたがノートを開いている姿を発見した。

「あ――――っ! それ――――っ!?」

 叫んだが早いか、あなたの手からノートがもぎ取られていた。じぃぃぃっと、あなたを睨む飛鳥井さん。

「……………………見た?」

 そう問われて、あなたは嘘をつくこともできずに頷いた。

 欲望に負けてしまったことをいたく後悔するあなた。

「…………どこまで見た?」

 あなたは正直に、ちょっぴりドジな女子生徒ヒナコが男子生徒カオルとぶつかり、恋の花が芽吹いたところまで、と告白した。

「絶対見ないって約束したのに……う〜っ……」

 ごめんなさい。あなたはしょんぼりとうなだれる。

「……はぁ、でも、ま、いいか」

 ため息と共にそう言った。
 顔に浮かべた苦笑とともに、どうやら水に流してくれるようだ。

「あなた、なにも聞かずに一生懸命手伝ってくれたもの」

 飛鳥井さんは確認のためか、ぱらぱらとページをめくっていく。

「うん、間違いない。このノート……よかったぁ……」

 最後まで読み終わると、彼女はいとおしげにノートを抱きしめた。

「ありがとう、あなたのお陰だわ」

 そう言いながら、飛鳥井さんはこのノートについて話してくれた。

 桃夭学園に入るまで、漫画を読んだことが一度もなかったこと。

 友達が貸してくれた漫画に夢中になって、何冊も何冊も読んだこと。

 そして、ついつい自分でも描いてみたくなって、こっそりとノートに描き続けてきたこと。

 飛鳥井さんは……すごく楽しそうに、話していた。

「という訳なの。へ、変…………かな?」

 もじもじと最後に問う飛鳥井さんに、あなたは無言で首を横に振った。

 今朝、飛鳥井さんを見かけたときに『自分とは違う次元の人だ』と決め付けていたことを不意に思い出した。

 自分とは違う、高尚な悩みを抱えているのだろう、と。

 ……そんな事はなかった。

 飛鳥井さんにだっていろんな悩みがあるのだ。
 それはときに高尚かも知れないし、自分と同じような些細なことかもしれない。

 だから、全然変じゃないと思う。
 それで、ちょっぴりうれしいとも思った。

「そっか。うふふふふ……でも、本当にありがとう。お礼に……何か、わたしができることはないかな?」

 あなたは首を横に振ろうとして……一つだけ、叶えて欲しい願いがあることを思い出した。

「なに、なに?」

 あなたは右手を差し出して、こう告げる。

 ――飛鳥井さんと、友達になりたい。

 あなたの言葉に、飛鳥井さんはしばらく目をぱちぱちさせていたが……。

「なら――『雛子ちゃん』って呼んでっ」

 雛子ちゃんは微笑んで、あなたの手を握り締めた。



 数日後。
 あなたが廊下を歩いていると、この桃夭学園ではあまり見かけない光景に出くわした。

「薫らない〜♪」

「はい、人の名前全否定のあだ名はもう本当にやめよう、ね?」

 飛鳥井さん……もとい、雛子ちゃんが男子生徒と楽しそうにおしゃべりしていた。

 見覚えのない、話したこともない男子生徒だが……。

 ――あれ? あの人、どっかで見たような……?

 すぐに思い出した。
 あの男子は、漫画に出ていた人だ。漫画に出て、雛子ちゃんと恋に落ちる役回りだった――。

「それでね…………あ」

 彼女と目が合った。
 あなたは少し笑いながら、片目をつむって二人に背を向けた。

 とりあえず。

 今のあなたにとって一番の悩みは、新しくできたお友達の、恋の進展具合になりそうだ――。

 あなたの物語はここで一度幕を閉じる。
 だが、決してこれで終わった訳ではない。

 次の『あなた』の物語は、既に『あなたがた』を待っているのだから。

─おしまい─



戻る